真言宗 醍醐派 駿河國

國分寺

今を生きいきと生活できように、また自分の存在を再確認できるような場所として、本来のお寺としての布教をしております。
地域の相談役として、癒しの場所としていつでも気楽にお寄りください。

国分寺の歴史

聖武天皇の発願により741年に諸国に建立された国分寺の一つです。
東大寺文書に三代実録の文書の中西暦872年の5月30日の条(貞観14年)にてこの駿河国の国府に接している長谷の地に国分寺が所在されていたという記述がある。
以降江戸期を通じ現在の静岡県立高校を含む一帯が国分寺であり、明治の廃仏毀釈まで存在していました。 その後に真言宗 醍醐派によって再建されました。

ご本尊 経読地蔵菩薩

武田氏に焼かれた駿府の街から慶長十年再び家康公の手中に収められた後、夜な夜な駿府城本丸付近から経を読む声がするので掘り返したところ地蔵菩薩尊像が現れ、国分寺の塔頭であった現在の国分寺に預けられ経読地蔵として奉られておりました。
江戸時代には駿府に疱瘡が流行して多くの子供が亡くなった時、この経読地蔵は子供を守ってくれるという噂が流れ人々が願かけに訪れた。やがて疱瘡の流行が鎮まると、地蔵の供養が盛大に行われ、この地蔵は「子安地蔵」とも呼ばれるようになったとそうです。
 現在でも国分寺の境内には、「疱瘡守護菩薩」と記された石塔があり、その右側面には「日本六拾六カ国 於国分寺立之 江戸芝金杉片町 願主 水本検校」左側には「爾時 安永六丁酉歳 冬十二月吉辰」の文字が刻まれています。